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名古屋の地名「那古野」の由来について知りたい。 | レファレンス協同データベース
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名古屋の地名「那古野」の由来について知りたい。 | レファレンス協同データベース
1 地名「那古野」について 下記資料に次のような記述があります。 【資料1】『日本歴史地名体系 2... 1 地名「那古野」について 下記資料に次のような記述があります。 【資料1】『日本歴史地名体系 23 愛知県の地名』79頁「名古屋市」の項 「古くは那古野と書き、また名護屋・浪越などとも記し、蓬左の別名もある。旧広橋家本「江家次第」裏書(東洋文庫蔵)にある建春門院法花堂領尾張国那古野庄領家職相伝系図に平安時代末期の荘園名として現れるのが初見で、南北朝時代の写本「弘法大使御入定勘決記」(真福寺蔵)の奥書にも「尾張国那古野荘安養寺」とみえる。近世の初め、徳川家康によって名古屋城下が開かれた頃から名古屋と名護屋が併用されたが、しだいに前者に定まり、明治22年(1889)現市名となった。」 【資料2】『角川日本地名大辞典 23 愛知県』966頁「なごや 名古屋」の項の中の「那古野荘」の項 「鎌倉期~戦国期に見える荘園名。尾張国愛知郡のうち。那古屋・名護屋・名古屋とも書く。」(以下【資料1】と同じ史