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無数のGAME OVERを乗り越えて。気鋭のゲーム研究者が「死」について考えたこと - DEATH.
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次の企画を立案すべく「死×●●」でインターネットを探索中、とあるファイルにたどり着いた。ゲーム研究者... 次の企画を立案すべく「死×●●」でインターネットを探索中、とあるファイルにたどり着いた。ゲーム研究者の井上明人さんが、90年代の家庭用ゲームを中心に「死」の表現の変遷をまとめたものだという。 例えば、超有名タイトル『ファイナルファンタジー』シリーズにおける、プレイヤーキャラクターが殺されたときの表現だけ見ても、「いのちをうばわれた…」「やられた」「しんでしまった」などと、作品ごとに変わっているのがわかる。 ゲームはいまや、映画や漫画、アニメ、小説などと並ぶメディアの一つと言っていいだろう。ゲーム内の死の表現には、その当時の社会がなんらかのかたちで投影されているかもしれないし、逆に社会になんらかの影響を及ぼしているとも考えられる。ぼくらの生と死をアップデートする手がかりにもなるのでは? そのように考えて、今回は京都・立命館大へ井上さんを訪ねた。 あらかじめ断っておかなければならないのは、井上