新型コロナウイルスに関する情報は、厚生労働省の情報発信サイトを参考にしてください。情報を見る
エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
遺された者にとっての「死」。終わりのない“悲しみ”は絶望か、希望か - DEATH.
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
遺された者にとっての「死」。終わりのない“悲しみ”は絶望か、希望か - DEATH.
死は誰にも等しく訪れるもの。過度に恐れたり遠ざけたりしても意味がない。むしろ死を受け入れることか... 死は誰にも等しく訪れるもの。過度に恐れたり遠ざけたりしても意味がない。むしろ死を受け入れることから、生は始まる——。過去9回の対話を通じて、死についてぼくらが学んだことだ。 だが、ここまで振り返ってみて大事な視点を忘れていたことに気がついた。それは、ここで言う死は誰のものなのかということだ。 ぼくらはこれまで、暗黙のうちに死にゆく本人にとっての死を論じていた。しかし、誰かが死ねば、別の誰かが遺される。死は、亡くなった本人以上に遺された人にこそ重くのしかかると言っていいだろう。 「遺された者にとっての死」。これがDEATH.10本目となる本稿のテーマだ。 一般社団法人リヴオンは「グリーフケア・サポートが当たり前にある社会」を目指して2009年に立ち上げられた。代表理事の尾角光美さんは19歳で母親を亡くしている。グリーフとどう向き合うかは尾角さん自身のテーマでもあった。 グリーフ(grief)