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電通営業マンの代表 根本軍四郎の生涯(1) | ウェブ電通報
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電通営業マンの代表 根本軍四郎の生涯(1) | ウェブ電通報
根本軍四郎は昭和35(1960)年4月、電通に入社した。当時の営業局中央部(現在の新聞局中央部)に配属と... 根本軍四郎は昭和35(1960)年4月、電通に入社した。当時の営業局中央部(現在の新聞局中央部)に配属となり、昭和42年には第八連絡局(現営業局)に異動、その後各連絡局で営業マンとして数々の重要なクライアントを担当し、昭和50年には第三連絡局連絡部長となり、連絡局次長、局長を経て平成3年取締役に選任され2年後常務取締役になったが、病をえて平成10年3月2日、急逝した。享年61歳、あまりにも早い死であった。健康でありさえすれば必ずやその後の電通を背負ったであろう逸材だっただけに、その死は惜しんでも惜しみたりないものがある。 卓越した営業マンであった彼の生い立ち、電通に残した足跡を改めてここにたどってみたいと思う。 生い立ち〈1〉 誕生と父 根本 博 根本軍四郎は昭和12年1月27日、北海道旭川で生まれた。四男二女の末っ子であった。根本家の先祖は村上源氏の一族で、根本家の初代である照林和尚は後