エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
三森重道。いつも明日を見ていた(1) | ウェブ電通報
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
三森重道。いつも明日を見ていた(1) | ウェブ電通報
1981年1月、石川島播磨重工業の社長から相談役に退いていた真藤恒氏は、同社の先輩でもある土光敏夫経団... 1981年1月、石川島播磨重工業の社長から相談役に退いていた真藤恒氏は、同社の先輩でもある土光敏夫経団連名誉会長(当時)に請われ、初の民間出身者として日本電信電話公社総裁に就任した。初出勤である仕事始めの日、真藤氏は日比谷にあった本社講堂に幹部を集め所信表明を行い、それは電話回線を通じ全国の事業所にも中継された。翌朝、広報部長が総裁室に呼ばれた。所信表明の反響はどうだというのだ。周りの受け止めをかいつまんで報告すると、なぜ全職員の反応を調査しないのだというのだ。しかも明朝までに調べて報告せよという。これまでの総裁と全く肌合いの異なるスタンスに戸惑いながらも、広報部全員で手分けして各地の拠点に電話で取材を行った。期待の声、来たばかりなのに偉そうだという声、プラスマイナスないまぜとなったレポートを翌朝おそるおそる持参すると、真藤氏は大いに満足したようだった。 しかしこれだけでは終わらなかった。