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江戸を食糧危機から救い、大坂を大洪水から守った“稀代の豪商”の謎 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
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安治川(あじかわ)のそばにひっそりと立つ「河村瑞賢紀功碑」 (c)朝日新聞社この記事の写真をすべ... 安治川(あじかわ)のそばにひっそりと立つ「河村瑞賢紀功碑」 (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 河村瑞賢が開発した日本列島海運航路図 大坂・淀川治水工事の概要図 江戸時代初期に、河村屋七兵衛(河村瑞賢)という商人がいた。新井白石をして、「天下に並ぶものがいない富商」と唸らせた男だ。明暦3(1657)年、明暦大火の材木買付で頭角を現したこの人物は、幕府から数々の大事業を命じられ、江戸という時代を縁の下から支えるインフラ構築事業に邁進していく。 【河村瑞賢が開発した日本列島海運航路図や大坂・淀川治水工事の概要図はこちら】 しかし七兵衛の半生は決して平坦ではない。明暦大火で三男を、治水事業では跡取りの次男を事故で死なせてしまう。七兵衛自身も何度も死地を潜り抜け、河村屋の身代を傾かせたことも一度ならず。彼は“逆境”に立たされるたびに知恵を振り絞り並はずれた胆力で乗り切ってゆく……。 作家・