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病理の話(384) 説明と同意は何も患者に対してだけ行うものではない
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病理の話(384) 説明と同意は何も患者に対してだけ行うものではない
インフォームド・コンセントという言葉は頻用されすぎて、もはや人々の注意を集めることも少なくなった... インフォームド・コンセントという言葉は頻用されすぎて、もはや人々の注意を集めることも少なくなった。そりゃそうだ、という話だからだ。 「患者に対して、今の状態や今後の治療選択についてきちんと説明をし、理解してもらい、その上で同意してもらって、二人三脚で診療を進めていこう。」 これがインフォームド・コンセントの概念である。何をいまさら、当たり前ではないか、と、誰もが思っていてほしい。 ……昔は違った。 医者は治す人。患者は治る人。そこには主従というか能動と受動の関係があって、患者は全てを知る必要などないし、知ろうと思ったって素人だからどうせわからない。だから説明なんてなくていい、圧倒的なカリスマ性で引っ張っていってくれよ、先生! これが昔の医療だ。今これをやったらだいぶ寒いと思う。 これは別に理念とか倫理の話をしているわけじゃない。単純に、西洋医学は、患者がきちんと「当事者」であったほうがいい