エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
鴻之舞金山と中村文夫 ―草創期の記憶― - 書痴の廻廊
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
鴻之舞金山と中村文夫 ―草創期の記憶― - 書痴の廻廊
北海道、オホーツク海沿岸部の原生林が燃えだしたのは大正元年のことである。 (Wikipediaより、北見神... 北海道、オホーツク海沿岸部の原生林が燃えだしたのは大正元年のことである。 (Wikipediaより、北見神威岬とオホーツク海) なにぶん、108年も前の話だ。当時の消火能力などたか(・・)が知れている。一度広がってしまった山火事は容易に消えず、消えるどころか実に四年近くに亘って燃え続けたというのだから凄まじい。 本州ではとてものこと起こり得ない、「試される大地」ならではの現象だろう。 大地に黒々と刻印された傷痕は、見るからに痛ましい眺めであった。 が、話はこれで終らない。 災害は恵みを齎しもした。焼け跡に、金鉱の露頭が認められたのだ。 たちまち土地の有力者が2万円ほど出資して金山の経営を開始した。佐渡・菱刈に続く大鉱脈、鴻之舞金山の始まりである。 が、出だしは決して順調とは言い得ない。この程度の投資では、とても満足のいく結果を絞り出すことは叶わなかった。桁が不足していたのだ、残念ながら。