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西部ニューギニア密林に消えた2万の将兵・マノクワリ転進作戦の今
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西部ニューギニア密林に消えた2万の将兵・マノクワリ転進作戦の今
67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊... 67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、ソロン(Sorong)、イドレ(Idore)へ転進させることを決めた。“転進”とは当時の名目。実際は、十分な糧食も持たない敗走だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド人などもいた。 制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホーランジア(現パプア州の州都ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミそしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍は、在マノクワリの兵力の分散を図った。いわゆ