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芥川賞『ニムロッド』は問う「僕たちはいつまで人間でいられるのか」(伊藤 達也) @gendai_biz
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芥川賞『ニムロッド』は問う「僕たちはいつまで人間でいられるのか」(伊藤 達也) @gendai_biz
「人類の営為が終わる」という予感 〈やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。... 「人類の営為が終わる」という予感 〈やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して〉 第160回芥川賞受賞作、上田岳弘著『ニムロッド』の一節だ。 選考委員の奥泉光は、会見で本作について「上田作品は完成度が高い」と評価したうえで、こう続けた。 「私見では、人類が積み重ねてきた営為がもう終わってしまうかもしれないことへの愛惜がにじむ作品だと感じました」 人類が積み重ねてきた営為、とはなんだろうか。 言葉によるコミュニケーション。争い。セックス。労働。商取引。もしくは表現すること。他にもたくさんあるだろう。『ニムロッド』はたしかに、その終焉を読む者に予感させながら、恐れとも、希望とも言いきれないものをつきつけてくる作品だ。 上田はこれまでの作品でも、「人が人であるとは、どういうことか」を問いかけてきた。私が私であるとは、あなたがあ