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「東宝」「東映」に「大映」が負けたのはなぜか…経営から見る戦後日本の映画盛衰の歴史(飯田 一史) @moneygendai
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「東宝」「東映」に「大映」が負けたのはなぜか…経営から見る戦後日本の映画盛衰の歴史(飯田 一史) @moneygendai
日本の大手映画会社といえば東宝、東映、松竹がパッと思い浮かぶだろうが、戦後日本の黄金時代と呼ばれ... 日本の大手映画会社といえば東宝、東映、松竹がパッと思い浮かぶだろうが、戦後日本の黄金時代と呼ばれた1950年代には大映、新東宝、日活も存在していた。 だがテレビ放送が始まると客が取られて映画産業は衰退、新東宝が1961年に、大映が1971年に経営破綻する――というのはよく知られた話だ。 しかし、日本映画史を各企業の財務諸表や統計、税制や法規制から研究した井上雅雄『戦後日本映画史 企業経営史からたどる』(新曜社)は、そもそも50年代に映画館の8割は赤字で自転車操業状態だったのであり、すでに危うい状態にあったことを明かしている。 どうして東宝、東映は生き残り、大映はそうならなかったのか。ビジネス視点で見る映画産業史は非常にスリリングだ。同書の議論を紹介しよう。 米国のブロックブッキング独禁法違反判決が招いた、日本の二本立て興行 50年代の日本映画産業に大きな影響を与えたのは、アメリカでブロック