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ゼロからわかる「55年体制」〜自由民主党はこうして生まれた(田原 総一朗) @gendai_biz
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ゼロからわかる「55年体制」〜自由民主党はこうして生まれた(田原 総一朗) @gendai_biz
前編では、「現憲法維持」の吉田茂、「改憲論者」の鳩山一郎、そして鳩山を上回る「強硬な改憲論者」岸... 前編では、「現憲法維持」の吉田茂、「改憲論者」の鳩山一郎、そして鳩山を上回る「強硬な改憲論者」岸信介の三者三様の憲法観を紹介した。今回は、戦争指導者としてA級戦犯容疑をかけられた岸信介がいかにして政界に復帰し、吉田茂政権を打倒したか。自民党が誕生した経緯を解説しよう。 A級戦犯から再び政治の舞台へ 岸は講和条約が発効した28日に追放解除となった。 そして10月1日に総選挙が行われた。再建連盟は40人以上の候補者を立てたが、岸自身は出馬しなかった。「A級戦犯容疑者」であった岸を選挙民がどう捉えているかを計りかねていたのである。 だが再建同盟は、総選挙で惨敗した。 そこで岸は作戦の練り直しを余儀なくされたのだが、それを見て、岸の実弟で自由党幹事長であった佐藤栄作が強引に入党させた。 実は、岸は惨敗後に「戦う民主主義」を標榜する西ドイツの実情を知るために現地へ旅立ったのだが、その間に吉田の「バカ