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なぜ日本人は「コミュニケーション能力至上主義」に陥ったのか(中村 高康) @gendai_biz
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なぜ日本人は「コミュニケーション能力至上主義」に陥ったのか(中村 高康) @gendai_biz
古いものでも、根拠がなくとも、とりあえず何らかの能力を「新しい能力」と唱えておけば、確かに〈能力... 古いものでも、根拠がなくとも、とりあえず何らかの能力を「新しい能力」と唱えておけば、確かに〈能力不安〉からは一時的には解放されるのである。 そうして「これから必要になる、新しい能力は何だ?」「コミュニケーション能力だ!」という、〈能力不安〉を一時的に鎮めてくれるような言説が繰り返し提示され、既定路線になっていった――というのが私の見方である。 〈能力不安〉に振り回されないために 結果として、私たちはコミュニケーション能力だけでなく、新しい時代に向けた様々なアヤシイ能力論につきあわされる羽目に陥っている。目立ったところでは、今まさに進められている、大学入試改革がその典型だ。 「知識の暗記・再生」を非難し、「生きる力」「学力の3要素」「英語4技能」等々を「これからの時代に求められる新しい学力」として重視する改革がゴリ押しされている。しかしそのどれもが、言い回しこそ新しそうだが、その内実は抽象的