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資本主義は一種の宗教←これがマルクス『資本論』の最重要考察です(大澤 真幸)
守銭奴的な禁欲は、ゼロへの欲望でした。その「どの具体的な使用価値でもないこと」が、それ自体対象性... 守銭奴的な禁欲は、ゼロへの欲望でした。その「どの具体的な使用価値でもないこと」が、それ自体対象性をもつと、資本家の欲望になります。 つまり、どの使用価値でもないという否定性が、どの使用価値でもありうる変数xのようなものに転換する。この「抽象的・形式的な価値xへの欲望」によって、資本主義的な主体は定義できます。 私の考えでは、この形式と化した価値こそが剰余価値です。 「剰余」というのは、使用価値という具体的な内容に対する、形式の剰余です。この形式的な価値への欲望こそが、資本主義の特徴です。その「形式」は、実際には、貨幣というかたちをとります。 資本主義においては、どの使用価値にも還元できない「何か」自体が、欲求の対象となって崇められるようになる。資本主義というものを一つの宗教的なメカニズムと考えた場合に、そのメカニズムを統括している最終的な信仰の対象が剰余価値です。 「プロレタリアート」に潜
2019/03/19 リンク