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あいちトリエンナーレでも露呈…表現の自由と権力の危ない関係(中島 岳志) @gendai_biz
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あいちトリエンナーレでも露呈…表現の自由と権力の危ない関係(中島 岳志) @gendai_biz
愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つ「表現の不自由展・その... 愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つ「表現の不自由展・その後」に抗議・脅迫があり、開催わずか3日目の8月3日で中止されることになった。会期がはじまると、菅義偉官房長官や、河村たかし名古屋市長らも展示を批判した。 「表現の自由」と権力の関係はどうあるべきなのか。本件をきっかけに考えておきたい「メディアの忖度構造」について、政治学者の中島岳志氏がフーコーをもとに分析する。(本稿は『支配の構造 国家とメディア―「世論」はいかに操られるか』(SB新書)より抜粋して紹介する) もっともローコストで効果的な監視システム 今日本で蔓延している「忖度」とは何なのかを考えるときに、私はフーコーのいうパノプティコン(全展望監視システム)についての議論が重要だと思います。 フーコーがこの議論の中で言っているのは、権力の作用というのは、その「まなざしの内面化」によって最