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【北村兼子】「私のモボ観:小才子の標本」 | 花束書房
★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子が、雑誌『雄弁』昭和4(1929)年2月号に寄稿... ★大正~昭和初頭、ジャーナリストとして活躍した北村兼子が、雑誌『雄弁』昭和4(1929)年2月号に寄稿したエッセイです。 ★関西大学法学部に在学中、スカウトされて大阪朝日新聞記者となった兼子は、当時から多くの雑誌にも評論や随筆を寄稿していました。この雑誌では流行のモダンボーイについて論じていますが、注目すべきは紙面に落書きされた兼子への憎悪の文句です。 ★兼子へのバッシングは3年前から本格化していました。通俗紙などに兼子に関する性的デマ記事が載るようになり、約2年で退社に追い込まれてしまいます。しかしその後も、兼子へのオファーは相次ぎ、民政党幹部に請われて応援演説を行なったり、弁護士を務めたりとますます多忙に。 ★さらに、この記事が掲載された昭和4年には、第11回万国婦人参政権大会(ベルリン)に参加、英語とドイツ語で演説をしたほか、各国代表女性らとラジオ演説も行っています。初夏から盛夏にか
2018/11/08 リンク