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なぜ自殺をしてはいけないのだろうか? | 人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方
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なぜ自殺をしてはいけないのだろうか? | 人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方
一切皆苦。ドイツ語には、Leben ist Leidenつまり「生きることは苦しむこと」と訳されます。 もう少し控... 一切皆苦。ドイツ語には、Leben ist Leidenつまり「生きることは苦しむこと」と訳されます。 もう少し控えめに解釈すれば、この世に生まれるのも、歳を取るのも、病気して死ぬのも、どれも自分の意志でするわけではない。また、自分で選んだこの人生に対して「ああ、ほかの人生ではなく、この生老病死でちょうどよかった!」と思うこともまずない。「生きることは苦しむこと」が言い過ぎなら、生きることはなんとなく物足りないと言えば仏教の脱出ゲームに参加したくなる人も多くなるのではないでしょうか。 もちろん、仏教の脱出ゲームに参加したくない人や、そもそもその意味が分からないという人もいるでしょう。たとえば、こういう反論が予想されます。 ①「生老病死のうちの老い、病と死に関してはなるほど、あまり楽しいイメージはない。しかし、その根本にある『生』は違う。僕は生まれたこと自体に文句はない。人生って、総じて考え