エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
戦後75年、置き去りにされた人たちに残る傷跡を問う。『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』河合弘之プロデューサーに聞く<映画を通して「社会」を切り取る24> « ハーバー・ビジネス・オンライン « ページ 2
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
戦後75年、置き去りにされた人たちに残る傷跡を問う。『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』河合弘之プロデューサーに聞く<映画を通して「社会」を切り取る24> « ハーバー・ビジネス・オンライン « ページ 2
――近時、日本の裁判所の判決は、論理構成よりも結論の妥当性を重視しているのではないかという法曹関係... ――近時、日本の裁判所の判決は、論理構成よりも結論の妥当性を重視しているのではないかという法曹関係者の言葉を耳にしたことがあります。 河合:例えば、原発問題だと「日本は資源がない。原発がないと電力がなくなってしまう。原発は必要悪だ」という認識の枠組みをベースに判決が下されていると感じます。その枠組みの中での「妥当な」判決を下すとなると、当然、請求棄却となります。 だからこそ、その枠組みを変えていかなければならない。原発というのは大事故になったら世界を滅ぼすかもしれないし、使用済み燃料は後世に大きな負担を強いるものだということがわかったら、裁判官が考える「妥当」な判断は変わるのではないかと。 その枠組みには、映画はもちろんのこと、ジャーナリズムが影響します。また、その枠組みを変えることができたなら、「妥当」な判決の中身も変わります。よって、結果的に世の中も変えられるということなんですね。 そ