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両陛下が確立した平成の皇室像に紆余曲折…乗り越えた右派の批判〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
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両陛下が確立した平成の皇室像に紆余曲折…乗り越えた右派の批判〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
天皇や皇后がひざまつき、被災者に話しかけるスタイルが確立された平成の皇室。全国各地で国民一人ひと... 天皇や皇后がひざまつき、被災者に話しかけるスタイルが確立された平成の皇室。全国各地で国民一人ひとりと直接つながることで、おのずと「国体」が強化されていった。一方で、これまでとは違う天皇像に右派から批判があったのも事実だ。放送大学教授の原武史さんがリポートする。 【写真特集】美智子さまのお部屋~秘蔵写真を公開~ * * * 1962年5月の宮崎、鹿児島、熊本行啓からは、主に地元の青年男女を集めて懇談会が開かれるのが恒例となる。懇談会というのは、皇太子夫妻が泊まった施設や公共施設で、5~10人程度の人々とテーブルを囲み、1~2時間かけて各地方で起こっているさまざまな問題につき、直接質問したり意見を聞いたりする会合のことだ。 昭和天皇は、東宮御学問所で帝王は言葉を慎むべきだとする儒教式の教育を受けたため、人々との会話に慣れていなかった。この点は香淳皇后も同様であった。一方、皇太子夫妻は長時間