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スバルがメイン事業だった「軽自動車」から見事に撤退できたワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
スバル(SUBARU)は2008年、軽自動車の生産から撤退した。赤字体質から抜け出せないためだが、それは国内... スバル(SUBARU)は2008年、軽自動車の生産から撤退した。赤字体質から抜け出せないためだが、それは国内販売の3分の2を占めるメイン事業を切り捨てることを意味した。異例の決断の背景には何があったのか――。 【写真】レガシィアウトバック ※本稿は、野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。 ■技術偏重だった企業体質を大きく変える決断 2006年、社長になった森郁夫はカムリの受託生産に続いて、アメリカマーケットに集中する決定をした。 同社は2010年までの中期経営計画で「スバルらしさの追求」「グローバル視点の販売」を掲げた。グローバル視点とはつまり、アメリカのユーザーの声を聞くということだ。 生産現場といい、経営といい、富士重工はやっと人々の声を聞く会社になった。中島知久平以来、技術偏重だった同社の体質が変わったのがこの時と言っていい。 技
2020/03/23 リンク