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ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版、12章、ダグラス・R. ホフスタッター著、濫読日記風 2018、その10 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
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ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版の12章を読んだ。 読書会でゆるゆる読ん... ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版の12章を読んだ。 読書会でゆるゆる読んでいる。ゆるゆるゲーデル、エッシャー、バッハ(GEB)を読むので略して「ゆるげぶ」 12章は「心と思考」。ついに意識について踏み込んでいく。 以下覚書のメモ(スライドシェア) 最後に「ルカスとの出会い」という節があって、ゲーデル問題にも根を上げないようなシステムであれば、それはチューリングマシンではない。というルカスの言葉が引用されている。 機械が意識をもつと、すなわちある臨界点を超えた時、それはチューリングマシンではないと彼は主張している。これって、流行りの言葉で言えば、シンギュラリティを迎えたらということになろうか。 ルカスのこの刺激的な表明は、1961年の「心、機械、そしてゲーデル」という論文にあるそうである。読みたい。 Godel, Escher, Bach: an Eterna