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浄土真宗のお坊さんとの対話 戦時教学とは - 過疎の山里・春野町で暮らす
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浄土真宗のお坊さんとの対話 戦時教学とは - 過疎の山里・春野町で暮らす
②浄土真宗のお坊さんとの対話。 ◉戦時教学とは ──「戦時教学をきちんと反省してこなかったことも要因」... ②浄土真宗のお坊さんとの対話。 ◉戦時教学とは ──「戦時教学をきちんと反省してこなかったことも要因」と言いますが、そもそも「戦時教学」ってどういうことですか。 「戦時教学というのは、天皇制ファシズムを聖戦という美名の下で、侵略戦争体制を翼賛する教学といえましょうか。」 ──具体的には? 「たとえば、天皇と阿弥陀仏は一体。天皇は阿弥陀仏、阿弥陀仏は天皇。だから、戦死するのは、極楽往生なのだという教えです」 ──おお、天皇=阿弥陀仏、そんなことまで言ってましたか。 日蓮主義でも、久遠仏と天皇は一体であるという考えもありました。そして、この戦争は聖戦であり、世界広布(教えが弘まること)につながるのだと。たとえば、満州帝国をつくった石原莞爾などは主張していましたね。 ◉信仰を挙げて天皇に帰一し奉る 「とにかく真宗の教学の権威ある人たちが、書き残しています」 ──たとえば、例を挙げられますか