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岩手山とくらかけ山
岩手山 そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くえぐるもの ひかりの微塵系列の底に きたなくしろく澱むも... 岩手山 そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くえぐるもの ひかりの微塵系列の底に きたなくしろく澱むもの 以前に「岩手山と澱粉堆」という記事にも書いたように、『春と修羅』に収められている作品「岩手山」は、賢治が生涯に何度も登って愛していたはずの岩手山という山を、なぜか否定的に、ほとんど嫌悪感も漂うほどに、描いたものです。 これはいったいどうしてなのか・・・と思います。 ところで、賢治が終生愛し、しかし他方で、どうしてもある種の否定的な感情を抱くことを禁じえなかった存在があります。 それは、父親の政次郎氏です。 この「岩手山」という作品は、ひょっとして父政次郎氏を象徴するものではないか、と思ってみたことがありました。 「古ぼけて黒くえぐるもの」「きたなくしろく澱むもの」とは、質屋の暗い番台に黙って座っている、頑なな父親の姿ではなかったでしょうか。周囲には、「古い布団綿、あかがついてひやりとする