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アントン・ヘーシンク - Wikipedia
アントン・ヘーシンク(Antonius Johannes Geesink、1934年4月6日 - 2010年8月27日[1])は、オランダ・... アントン・ヘーシンク(Antonius Johannes Geesink、1934年4月6日 - 2010年8月27日[1])は、オランダ・ユトレヒト出身の柔道家、プロレスラー。身長198 cm。国士舘大学名誉博士。 ユトレヒトの貧しい家庭で育ち、12歳のときから建設現場で働いていた[2]。14歳より柔道を始め[3]、ユトレヒト市内の中等学校を卒業した後、1955年、オランダ柔道チームの指導を始めた道上伯に見出され[4][5] 徹底的な個人指導を受けた他、日本でも講道館や天理大学で松本安市らの指導を受け[6][7]、選手としての才能を開花させた。この後引退するまで、毎年2ヶ月ほど日本に滞在しトレーニングに励んでいた[8]。 1956年に東京都で開かれた第1回世界柔道選手権大会では、準決勝で吉松義彦に内股で一本負けを喫して3位、2年後1958年の第2回大会では準々決勝で山舗公義に内股返で一本