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元和偃武 - Wikipedia
元和偃武(げんなえんぶ)とは、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣において江戸幕府が大坂城主の豊臣家... 元和偃武(げんなえんぶ)とは、慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣において江戸幕府が大坂城主の豊臣家(羽柴宗家)を攻め滅ぼしたことにより、応仁の乱(東国においてはそれ以前の享徳の乱)以来、150年近くにわたって断続的に続いた大規模な軍事衝突が終了したことを指す[1]。 同年7月、江戸幕府は朝廷に元号を慶長から元和と改めさせたことで、天下の平定が完了したことを広く宣言したと見られる[2]。 概要[編集] 由来[編集] 偃武とは、中国古典『書経』周書・武成篇の中の語「王来自商、至于豊。乃偃武修文。(王 商自り来たり、豊に至る。乃ち武を偃(ふ)せて文を修む。)」に由来し、武器を偃(ふ)せて武器庫に収めることを指している[3]。初出の時期は不明だが、江戸時代中期以降の儒者の創語だと推定されている[3]。 豊臣家の滅亡よって、江戸幕府による全国支配体制の基礎が確立し、以後は領主権力同士の軍事衝突
2021/05/20 リンク