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前田光繁 - Wikipedia
京都府で小規模手工業者の家庭に生まれる[1]。京都市立商工専修学校を卒業後、1936年(昭和11年)に海軍... 京都府で小規模手工業者の家庭に生まれる[1]。京都市立商工専修学校を卒業後、1936年(昭和11年)に海軍へ志願。呉海兵団に所属するが病気のため除隊。1年間の療養生活を経て、1937年(昭和12年)南満州鉄道関連企業に就職。1938年(昭和13年)、河北省で鉄道用砂利採取場の現場監督時に八路軍野戦政治部に送られ、1939年(昭和14年)1月2日、八路軍へ入隊を表明し、野坂参三に次ぐ日本人民解放連盟の2番手となる。同年11月には八路軍内において「日本兵士覚醒連盟」を組織した[2]。朱徳と行動を共にして戦闘に参加した後、1942年(昭和17年)に反戦活動のため延安に移動し、終戦まで同地にとどまった。 その後も八路軍のために活動を続け、1958年(昭和33年)に帰国命令を受託して日本へ帰国した。帰国後は日中友好協会の理事を務めている[2]。2016年に100歳を迎えた[3]。
2012/05/13 リンク