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木下順二 - Wikipedia
東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。父は熊本県伊倉町長を務めた木下弥八郎、祖父は玉名郡長... 東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。父は熊本県伊倉町長を務めた木下弥八郎、祖父は玉名郡長・衆議院議員を務めた木下助之[1]。異母兄は天文学者の木下國助、異母姉・静は侍従次長の木下道雄に嫁いだ[2]。第二女子師範附属小学校を経て郷里熊本市に戻る。実家は祖父の代まで惣庄屋を務めた熊本の名家だった[3]。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校を経て1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学し、中野好夫[4]の指導でシェイクスピアを専攻した。1939年、法政大学講師[5]。1941年東京大学大学院文学部英文科修士課程修了。 第二次世界大戦後、明治大学講師となる。1947年、山本安英らと劇団『ぶどうの会』を結成。『彦市ばなし』などの民話劇を経て『婦人公論』1949年1月号に『夕鶴』を発表(10月丹波市天理教講堂でぶどう座が初演、1950年1月東京初演)。同年「夕鶴」で毎日演劇賞