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松岡利勝 - Wikipedia - 2007年5月28日 (月) 04:14; 218.228.250.35 (会話) による版
中学卒業後、熊本県立済々黌高等学校に進学し、空手部に入部[1]。親元を離れて下宿生活を送る[1]。高校2... 中学卒業後、熊本県立済々黌高等学校に進学し、空手部に入部[1]。親元を離れて下宿生活を送る[1]。高校2年生の時の修学旅行で東京都を訪れた際に、単身で赤尾敏(大日本愛国党元総裁)を訪問し、活動への参加を志願している[1]。結果は拒絶されたものの、「保守思想への傾倒」は松岡にとって大きな転機になった[1]。その後一時、防衛大学校を目指すが失敗し、2浪ののち鳥取大学農学部林学科に進学する[1]。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に旧熊本1区から無所属で立候補。当初は泡沫候補と見られていたが、北口博、松野頼三らを下し最下位ながらも初当選、以降連続6回当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・亀井久興・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進・山本有二など)。議員一期目に、三塚派の先輩である小泉純一郎や石原慎太郎に同
2020/05/25 リンク