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氏家行広 - Wikipedia
氏家氏は宇都宮氏の庶流。元亀2年(1571年)、父・氏家直元(卜全)が伊勢長島攻めで戦死した後、家督は... 氏家氏は宇都宮氏の庶流。元亀2年(1571年)、父・氏家直元(卜全)が伊勢長島攻めで戦死した後、家督は兄・直昌が継ぎ、引き続き織田信長に仕えた。 本能寺の変後、氏家氏は織田信孝に属したが、信孝が羽柴秀吉と対立すると秀吉方へ味方し、以降は秀吉に仕える。この前後に兄が病死し、天正11年(1583年)に行広が家督を継ぎ、美濃国三塚1万5,000石に移封される。天正16年(1588年)、従五位下・内膳正に叙任。その後、小田原征伐などで軍功を挙げ、天正18年(1590年)、伊勢国桑名2万2,000石に加増移封された。 秀吉死後、慶長5年(1600年)の会津征伐では徳川家康軍に合流するため東向中であったが、道中で石田三成挙兵の報を聞くと家康に断りを入れた上で伊勢に帰還、豊臣秀頼が幼少であることを理由に家康方・三成方いずれにも呼応せず中立の立場を取った。しかし桑名に西軍勢力が及んできたため中立の立場を維