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瀧谷不動明王寺 - Wikipedia
瀧谷不動明王寺(たきだにふどうみょうおうじ)は、大阪府富田林市彼方(おちかた)にある真言宗智山派... 瀧谷不動明王寺(たきだにふどうみょうおうじ)は、大阪府富田林市彼方(おちかた)にある真言宗智山派の寺院。山号は瀧谷山。本尊は不動明王。正式な寺号は明王寺。宗教法人としての登録名は「瀧谷不動明王寺」[1]。通称は山号の瀧谷山にちなんで滝谷不動。日本三不動の一つ[2]で、「目の神様」「芽の出る不動様」などと呼ばれる。 歴史[編集] 寺伝によれば、弘仁12年(821年)に空海が龍泉寺に参籠した時に、国家安泰、万民化益を願い、一刀三礼で不動明王・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制多迦童子(せいたかどうじ)の像を刻み、それら3体の仏像を祀るために諸堂が造営されたのが当寺の起源であるという。造営当初は今より約1km南に離れた嶽山(だけやま)の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたという。 南北朝時代に楠木正成が嶽山に嶽山城を築くと、その守護仏として当寺の不動明王を崇敬している。 正平15年(1