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虚無僧 - Wikipedia
普化宗は唐の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧心地覚心が南宋に渡り、普化の法系の張参に竹管吹簫の奥... 普化宗は唐の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧心地覚心が南宋に渡り、普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら4人の居士を伴い、建長6年(1254年)に帰国し紀伊由良の興国寺に普化庵を設けて住まわせたことに始まる。古くは、「こもそう(薦僧)」ということが多く、もと坐臥用のこもを腰に巻いていたところからという[1]。 虚無僧は「僧」と称していながら剃髪しない半僧半俗の存在である。尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧[1]とされており、多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した[1]。はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、江戸時代になると徳川幕府によって以下のように規定された。 托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯を前に結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。足には5枚重
2019/07/12 リンク