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駅逓司 - Wikipedia
駅逓司(えきていし)とは、慶応4年閏4月21日(明治元年・1868年6月11日)に設置された、交通通信担当(... 駅逓司(えきていし)とは、慶応4年閏4月21日(明治元年・1868年6月11日)に設置された、交通通信担当(駅逓郵便)の官司。後に大蔵省駅逓寮(えきていりょう)、農商務省駅逓局(えきていきょく)と改称され、後の逓信省の元になった。 政体書に基づいて会計官(七官の一つ)が設置された際にその下に設置された[1]。翌年の明治2年には民部省設置とともに移動され[1]、事実上の「大蔵民部省」の一翼を担う。1871年3月1日 (旧暦)(新暦4月20日)、駅逓司の前島密・杉浦譲らによって郵便制度が開始された。 明治4年には民部省が廃止され大蔵省に統合されて、8月に大蔵省駅逓寮に昇格した[2](1877年1月の寮→局制の移行に伴い、駅逓局と改称)。郵便制度は1875年1月には為替制度(郵便為替)、5月には貯金業務(郵便貯金)を加えてその重要性は高まっていった。なお、幕藩体制の助郷制度の廃止による交通制度の