エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【時視各角】慰安婦団体「正義連」、会計問題が本質なのか
マリア・ロサ・ヘンソンさんは16歳だった1943年4月、フィリピン・マニラ付近で日本軍に連れて行... マリア・ロサ・ヘンソンさんは16歳だった1943年4月、フィリピン・マニラ付近で日本軍に連れて行かれ、9カ月間の慰安婦生活をした。心の傷を隠して生きていたが、92年に慰安婦被害者を捜しているというラジオ放送を聞き、勇気を出してメディアの前に立った。フィリピン最初の慰安婦公開証言だった。これをきっかけに国内外の慰安婦運動に積極的に参加した。96年に日本の団体から「贖罪金」を受けた。韓国の挺身隊問題対策協議会(挺対協)が「受ければ公娼になるのと変わらない」と言ったそのお金はアジア女性基金だった。村山富市首相時代に設立されたアジア女性基金は民間募金を基盤とするものの、財団運営費用は政府が出した。「半官半民」の性格の基金を、挺対協は日本政府の責任回避手段だとして拒否した。ヘンソンさんはこのお金を受けて語った。「今まで不可能だと思っていた夢が実現した。本当に幸せです」。他界する1年前のことだった。
2020/05/23 リンク