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大岡昇平と丸谷才一 - jun-jun1965の日記
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大岡昇平と丸谷才一 - jun-jun1965の日記
毎日新聞の書評欄が、生誕百年ということもあって大岡昇平特集で、丸谷才一が、戦後最大の作家と書いて... 毎日新聞の書評欄が、生誕百年ということもあって大岡昇平特集で、丸谷才一が、戦後最大の作家と書いているのを見て、あれ丸谷は大岡をそんなに評価していたんだっけと思った。作風はむしろ対照的だし、しかし考えてみれば丸谷『文章読本』は大岡の『野火』をテクストにしている。 まあもう少し調べて「大岡昇平と丸谷才一」を書きたいところだが、そういえば丸谷の宿敵だった江藤淳をやっつけた人だし、『裏声で歌へ君が代』が出た時は大岡と丸谷が新聞に往復書簡を載せて、「成城だより」では大岡が褒めてはいる。しかし、藝術院入りを辞退した大岡と、喜んで入った(大岡の没後十年)丸谷。筒井康隆『大いなる助走』の文庫版解説を書いて、文学賞の党派性を批判した大岡と、数多くの選考委員を務め、丸谷グループを作る丸谷。 大岡自身が高く評価していたのは大江健三郎である。あと大岡の懐刀的存在だったのは中野孝次だが、丸谷も中野も國學院大学に勤め