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10 古典が読めない! | 最後の読書 | 津野海太郎 | 連載 | 考える人 | 新潮社
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10 古典が読めない! | 最後の読書 | 津野海太郎 | 連載 | 考える人 | 新潮社
私がある本をえらぶのか、それともある本が私をえらぶのか。いずれにせよ、近ごろは、じぶんとおなじ年... 私がある本をえらぶのか、それともある本が私をえらぶのか。いずれにせよ、近ごろは、じぶんとおなじ年ごろの70代から80代ぐらいの人たちが書いた本を手にとる機会が、めだって増えてきた。 いまのいま、そうである人たちの本だけでなく、そこには、かつて70代から80代だった過去の人たちの著作もふくまれる。ただし時代をさかのぼるにつれて、こうした区分けなど次第にどうでもよくなってくるのもたしか。だって、ちょっと後ろにもどれば平均年齢50歳の時代だぜ。そんな時代に生き死にした漱石や鷗外が老人であろうとなかろうと、そんなこと、もうどうでもいいじゃないの。 そして時代をさらにさかのぼると、行きつくところは古典――。 古典では、その本が歴代の読者とともに生きた時間の質量が、年齢にとってかわる。つまりは本そのものが老人なのだ。老人は老人同士、なんだか、いいつきあいができそう。そこで多くの人が、このさき年をとった