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満州医科大学の白米とコーリャンの話〜やはり満州事変以降の日本の振る舞いは「侵略」だと思う - 木走日記
今回は、身内の話からはじめましょう。 生前長らく神戸で開業医をしていた私の叔父は、温厚な人柄で幼い... 今回は、身内の話からはじめましょう。 生前長らく神戸で開業医をしていた私の叔父は、温厚な人柄で幼い私にもとても優しく接してくれました。 彼が医学を学んだのは当時の中国大陸の満州国であります。 叔父が学んだ満州医科大学(現:中国医科大学)は、おそらく当時の中国大陸で唯一の先端西洋医学を学ぶことができる医科大学であったのでしょう、戦後1949年には共産党政府により国立中国医科大学として改称、現在まで中国屈指の医科大学として存在しております。 叔父が満州医科大学の学生であったころは、もちろん満州国内の唯一の医科大学であり、日本の国策で作られた大学でありました。 当時の満州医科大学の学生は、国策大学でもあり、内地からたくさんの日本人が学んでおり、正確な比率はわかりませんが、日本人(内地)、日本人(朝鮮)、日本人(台湾)、満人(中国人・満州族)、華人(中国人・漢族他)の順に学生は構成されておりました
2017/04/23 リンク