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むらすゞめと橘香堂の歴史 - 橘香堂(きっこうどう)
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むらすゞめと橘香堂の歴史 - 橘香堂(きっこうどう)
倉敷で生まれ、倉敷に育てられる。 江戸時代、天領であった倉敷は備中米の集散地で米倉が多く軒を連ねて... 倉敷で生まれ、倉敷に育てられる。 江戸時代、天領であった倉敷は備中米の集散地で米倉が多く軒を連ねていたことから倉屋敷…倉敷という地名がつきました。米の出来、不出来は生活を大きく左右していた為、土地の人々は、お盆になると、イ草で編んだ笠をかぶって豊作を祈願する豊年踊りを行いました。その踊る姿は、稲穂に群がる雀のようであったといわれています。 その色は稲穂その形は編み笠。 明治十年に、弊店初代吉本代吉が、倉敷に名物菓子をと模索するうちに、この編み笠の形と、稲穂の黄金色からヒントを得て創製したのが「むらすゞめ」です。郷土の先覚者、林孚一翁(はやしふいちおう)が、その菓子の形と色から群がる雀…「むらすゞめ」と命名されました。以来、倉敷の代表銘菓として、広く全国に親しまれています。 京都の殿上人、源有任(みなもとありとう)という方に次の句をよんでいただきました。 「むらすゞめ 羽振はらいて なよ竹の