エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
折口信夫の学問: 海神日和
早起きじいさんのひとりごと。柳田国男の話、商品世界論、1970年代論、読み残した本の紹介、気まま旅の... 早起きじいさんのひとりごと。柳田国男の話、商品世界論、1970年代論、読み残した本の紹介、気まま旅の記録など。 《連載196回》 1953年(昭和28)9月3日、柳田国男の盟友でもありライバルでもあった折口信夫が亡くなった。享年満66歳。 1913年(大正2)からのつきあいだから、親和と反発をともないながらも、ふたりのあいだでは、かれこれ40年にわたって、つかず離れずの関係がつづいたのである。 もっとも折口は、最後まで盟友というより師として国男に接していた。年もひとまわり下だった。 静養中の箱根の山荘で、歩くこともままならなくなった折口は、うわごとのように「柳田先生にはとうとう負けたね。完全に負けた。くやしいね」と語った。そのいっぽうで、『万葉集大成』という企画で国男と対談する約束がはたせないことを申し訳なく思い、弟子の伊馬春部(いま・はるべ)に「杏伯[伊馬の号]、明日先生をおたずねして、