エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
卑怯者=沼野充義の『これからどうする』(3) - 連絡船
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
卑怯者=沼野充義の『これからどうする』(3) - 連絡船
(この章は昨二〇一三年十一月二十八日に書き上げていたものです) そうして、沼野充義はこう結びます。... (この章は昨二〇一三年十一月二十八日に書き上げていたものです) そうして、沼野充義はこう結びます。ただの「作文」です。全部他人事です。 しかし、考えてみると、「文学の危機」をめぐるこの種の言説はいまに始まったことではない。文学とは常に「〜のおかげで」盛んになるものではなく、「〜にもかかわらず」生き延びていくジャンルではないだろうか。優れた文学は歴史的に見れば、「反動」の陣営に与(くみ)するよりは権力に抵抗する側に立ち、人間の自由のために貢献してきたし、若者の「文学離れ」を嘆く識者の声が高まる一方で、実際に人々が読むフィクションの量は決して減っていない。文学の形は今後変わっていくに違いないが、人間はいまの形の生物として存在し続ける限り、自分の観察や、感覚や、欲望や、志向を言語によって表現し、伝達することは止めないだろう。その際、「詩」と「物語」という二つのジャンルは始原的であると同時に、最高