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虚体、死体、そして外へ│鴻英良│Ko Murobushi Archive
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虚体、死体、そして外へ│鴻英良│Ko Murobushi Archive
虚体、死体、そして外へということで、室伏鴻論を何ヶ月か前に構想し始めました。虚体、死体、外へとい... 虚体、死体、そして外へということで、室伏鴻論を何ヶ月か前に構想し始めました。虚体、死体、外へという三つの概念の出典は、ご存知の人も多いかもしれませんけど、虚体は埴谷雄高の『死霊』の中の概念で、死体はいうまでもなく、土方巽の「命がけで突っ立った死体」という言葉から来ているわけです。「外へも室伏鴻がこの数年間やろうとしてきたプロジェクト、これは「外の千夜一夜」というタイトルが付いていて、そういう意味では、この二つ、三つがどういう風に関連を持っているのかということが舞踏の系譜学というものを考えるときに重要な意味を持つのではないかと思いついたわけですが、虚体は、埴谷雄高の『死霊』の中の基本概念なので、これは小説の中で問題になり、しかも戦後、この言葉はいろんな意味で使われていたんですね。文学青年たち、あるいは文藝評論家も含めてこの『虚体』という言葉に魅せられていた。だからこれはどちらかというと戦後文