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命は「不可思議」そのもの - 金翅鳥院のブログ
天台には「浄土教」と「法華経」は同じ真理を説くと考えています。 ゆえに法華経を大念仏 浄土教に当た... 天台には「浄土教」と「法華経」は同じ真理を説くと考えています。 ゆえに法華経を大念仏 浄土教に当たる阿弥陀経を小法華という。 また俗に朝題目(法華) 夕念仏(阿弥陀経)といい、朝には法華懺法、夕べには例時作法というかたちで勤行をします。 阿弥陀経には「不可思議」という言葉がある。 「思議すべからざるもの」という意味で如来の功徳を讃嘆する。 如来の功徳はいうなれば仏性の働きである。 法華でいうならば「妙」の一字となる。 「言辞の相、寂滅せり。」とも「乃し仏と仏のみ究尽したまえり。」というのが「妙」 ではそれは具体的には何を指すのか? 我々の命のことです。 広げていえば一切衆生の命である。 もっと言えば我々の存在そのもの。あなたそのものであり、かつ私そのものでしょう。 大宇宙のいかなる不思議もこれ以上の不可思議はない。 この「生きている!」ということについて古今の賢聖は様々に物申してきました。