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社説:終戦の日を迎えて 記録を尊ぶ国でありたい | 毎日新聞
終戦からすでに73年の歳月が刻まれ、来年5月には昭和、平成に続く戦後3番目の年号が始まる。 とはい... 終戦からすでに73年の歳月が刻まれ、来年5月には昭和、平成に続く戦後3番目の年号が始まる。 とはいえ、8月15日はいまだに私たちにとって羅針盤であり続ける。日本という国の仕組みを根底から見直す原点になったからだ。 問われたことの一つに、集団無責任体制というべきものがある。政治学者の丸山真男が「これだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がどこにも見当たらない」と評した精神構造だ。 国民に極端な忠誠を求めながら、国家中枢で組織防衛と状況追認に明け暮れていたのが戦前日本だった。 防衛省防衛研究所に併設された戦史研究センターに「市ケ谷台史料」と呼ばれる書類が保存されている。 和紙に1枚ずつ貼り付けられた史料には、焼け焦げた跡が残る。破れて判読ができないものも多い。 寸断された責任の系譜 これらは、敗戦前後に旧陸軍が焼却命令を出した書類の燃え残りだ。1996年4月、東京都埋蔵文化財セ
2018/08/15 リンク