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米軍に育ての親奪われ 基地で働き 「アメリカ世」一人生き抜く | 毎日新聞
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米軍に育ての親奪われ 基地で働き 「アメリカ世」一人生き抜く | 毎日新聞
学業の機会は戦争で失われ、育ての親は米軍の弾で命を奪われた。戦後はその米軍の基地で働き、「アメリ... 学業の機会は戦争で失われ、育ての親は米軍の弾で命を奪われた。戦後はその米軍の基地で働き、「アメリカ世(ゆー)」を生き抜いた。那覇市の山田芳男さん(91)は23日、沖縄戦で亡くなった母校の先輩や教師たちを悼む慰霊塔を訪れ、しわが刻まれた手を合わせた。「自分に青春時代はあったのか。食うのに一生懸命だったんじゃないかな」 日本統治下の台湾で生まれ、3歳の時に首里市(現・那覇市)の大叔母、長嶺菊枝さんの元に預けられた。1944年、県立第一中学校(現・首里高校)に入学したが、机で学んだのは3カ月ほど。まもなく校舎を日本軍の部隊が使用するようになり、生徒は飛行場の滑走路や高射砲陣地の構築などに駆り出された。「神国日本が勝つためには、当たり前だと思っていた」 45年4月1日に米軍が沖縄本島中部に上陸し、自然壕(ごう)に避難した。4月末には米軍の攻撃が迫り、沖縄本島南部へ逃げた。大叔母らと一緒に日中は壕に