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県外出身兵も6万人超が戦死 高齢遺族にのしかかる沖縄との距離 | 毎日新聞
日米両軍による激しい地上戦となった第二次世界大戦末期の沖縄戦では、戦闘に巻き込まれた住民だけでな... 日米両軍による激しい地上戦となった第二次世界大戦末期の沖縄戦では、戦闘に巻き込まれた住民だけでなく、全国各地から出征した日本軍の兵士も6万人以上(推計)が命を落とした。今年で79年。その遺族も高齢となり、これまでのように慰霊のために沖縄を訪れることが難しくなっている。海軍兵だった父を沖縄で亡くした熊本市の村上国夫さん(83)もその一人。「沖縄には行けないが、地元で父のことを伝えたい」と、戦争がもたらす苦しみを地域の子どもたちに語る。 国夫さんの父、勝(まさる)さん(当時38歳)は熊本で農業を営んでいたが、1944年7月に海軍に召集され、戦火が迫る沖縄へと派遣された。45年4月に米軍は沖縄本島に上陸し、現地の日本軍との間で約3カ月にわたる激しい地上戦となった。勝さんは同年5月13日、現在の那覇空港の場所にあった小禄(おろく)飛行場周辺で戦死したとされる。
2024/06/23 リンク