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材木専売で土佐を強国にした長宗我部元親の「成長戦略」 | 戦国武将の危機管理 | 小和田哲男 | 毎日新聞「経済プレミア」
長宗我部元親の土佐国は山地が多く、米の収穫量は少なかった。百姓たちからの年貢収入を財源とする戦国... 長宗我部元親の土佐国は山地が多く、米の収穫量は少なかった。百姓たちからの年貢収入を財源とする戦国大名としては危機的状況だったといえる。しかし、ふつうならば弱小国といってよい土佐国を出発点に、元親は何と、伊予・讃岐、さらに阿波と、四国全土の平定をほぼ成しとげているのである。それはどうしてなのか。どのように危機を乗り越えていったのだろうか。 平地より山地が多いという、ふつうには弱点となるところを元親はむしろ逆手にとった。山地が多いということは、樹木が豊富だということである。元親はこの森林資源に目をつけ、領内の木をすべて「御用木」とし、勝手に切ってはいけないという命令を出しているのである。これは元親による木材統制であり、商品化した材木を専売制とし、それを領外の国に売り、いわゆる「外貨稼ぎ」としていたことが知られている。
2016/01/25 リンク