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多様性は事実であり、価値ではない - モジモジ君のブログ。みたいな。
昨晩あげた「<アンチであること>は本質でありうるか - モジモジ君の日記。みたいな。」に対して「「本... 昨晩あげた「<アンチであること>は本質でありうるか - モジモジ君の日記。みたいな。」に対して「「本質」という概念そのものを無効化する戦術 - 想像力はベッドルームと路上から」というお返事が戻ってきた。この中で、特に次の一文が、このところ僕が疑問に思っている点である。 僕が社会において最も重要だと考えるのは、「どれだけの選択肢を確保できるか」という視点です。その選択の是非は問いません。 模範的なリベラルにおいて多様性はほとんど必ず守られるべき価値として提示されるのだけれど、僕はそこには誤解、少なくとも詰められてないところがあると思う。 多様性は無前提によいものか これに関連して、以前、「政治における多様性・新自由主義などいらない - モジモジ君の日記。みたいな。」というエントリを上げたことがある。僕は「新自由主義的な思想を持つ人が現にいる」という意味での多様性を不要だと思う。「難病者や障害
2010/08/24 リンク