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【ポーツマス条約】なぜ日本はロシアから賠償金を獲得出来なかったのか - 日本史はストーリーで覚える!
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【ポーツマス条約】なぜ日本はロシアから賠償金を獲得出来なかったのか - 日本史はストーリーで覚える!
こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【ポーツマス条約】なぜ日本はロシアから賠償金を獲得出来... こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【ポーツマス条約】なぜ日本はロシアから賠償金を獲得出来なかったのか」というお話です。 今回もストーリーを展開しながら「なぜロシアは賠償金請求に応じなかったのか」を見ていきたいと思います。 今回の登場人物は、日本の総理大臣は桂太郎、外務大臣は小村寿太郎、元老の伊藤博文、ロシアの皇帝はニコライ、全権大使はヴィッテ、そしてアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領です。 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約では、日本はロシアに樺太の割譲と賠償金の支払いを要求します。しかし、ロシアのニコライ皇帝は賠償金の支払いには断固反対。ルーズベルト大統領の説得により、日本は賠償金の支払い要求を放棄する代わりに樺太の南半分をロシアから譲りうけることで妥結しました。 1904(明治37)年2月に勃発した日露戦争は3月に満州にある奉天での会戦を迎えました。60万人の日露の大