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「自伝及び中米内戦体験記」8月14日 - Ruriko's naisentaiken
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「自伝及び中米内戦体験記」8月14日 - Ruriko's naisentaiken
1)村瀬先生はがんで入院していた。 成田からそのまま村瀬先生の家に車で向かった。「何か食事をするか... 1)村瀬先生はがんで入院していた。 成田からそのまま村瀬先生の家に車で向かった。「何か食事をするか」と運転する村瀬先生の娘婿さんの「ぶんさん」が私に聞いた。「さあ」と私はあいまいに答えた。日本語で対応できず、思考回路も日本語になっていなかった。私の気分はまだ内戦の巷をさまよっていたのである。 家に着いた。その家を見て、ああ、これは日本の家だ。つくりを見て、「日本の家屋」というものを思い出した。学生時代お邪魔したことのある家とは別の家らしい。見覚えがなかった。 ガラガラと玄関の格子戸を開ける。奥様が日本人みたいな表情で、日本人みたいな挨拶をする。入り口からまっすぐ奥まで廊下がある。靴を脱いで、応接間に通される。 そうだ。日本は靴を脱いで家に上がる国だった。奥に畳の部屋がある。畳の感触が足に触れる。ああ、畳というものがあったな。 間抜けな私は間抜け面して考えた。そこはまるで私には外国だったのだ