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バットを銃に変え、戦場で散った球児たち 甲子園で感じた平和の尊さ(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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バットを銃に変え、戦場で散った球児たち 甲子園で感じた平和の尊さ(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
8月15日。終戦の日の正午、阪神甲子園球場にサイレンが鳴り響く。3万1千人の観衆に黙禱(もくとう)が呼... 8月15日。終戦の日の正午、阪神甲子園球場にサイレンが鳴り響く。3万1千人の観衆に黙禱(もくとう)が呼びかけられた。 【画像】高松商は57年前も終戦の日に福岡勢と対戦した。三池工を率いたのは原辰徳の父・原貢さん。 スタンドを埋める観客と選手が一緒に戦没者を悼むのは4年ぶりだ。 新型コロナウイルスの影響で、第102回大会が中止になった一昨年の甲子園交流試合は無観客、昨夏の第103回大会は一般客は入れなかった。3年前の第101回大会は台風の影響で15日は試合がなかった。 夏の甲子園で高校野球の取材をしているからだろうか。 この日が近づくと、かつて岐阜総局で勤務していたころ、繰り返し聞いた名前を思い出す。 松井栄造と近藤清。 2人は1936(昭和11)年の第22回大会で初優勝した岐阜商(現・県岐阜商高)のメンバーだった。 エースだった左腕松井は縦に割れるカーブで打者をきりきり舞いさせたという。岐