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シネ・ヌーヴォの歴史①|シネ・ヌーヴォ
「シネ・ヌーヴォ前史」 1970年代、ビデオもない時代、映画はフィルムを映写機にかけて映すしか観られま... 「シネ・ヌーヴォ前史」 1970年代、ビデオもない時代、映画はフィルムを映写機にかけて映すしか観られませんでした。配給・製作会社、業者などから35ミリや16ミリのフィルムを借り、会場を借りて上映会を開く自主上映グループが日本各地で活動していました。自分たちの観たい映画を選び、手作りのチラシで映画ファンに呼びかけ、自主上映会を開いていたのです。その頃、大阪・京都で上映活動を行っていた「シネマ・ダール」がシネ・ヌーヴォの前身です。 会場は、中之島中央公会堂、靭公園にあった科学技術センターホール、森ノ宮青少年会館、ピロティホール、SABホール、朝日生命ホール、府立労働センター、大阪府文化情報センター、守口文化センター、扇町ミュージアムスクエアから、スタジオあひる、プラネット上映室、アップルシアター、吹田映劇。京都では最も多く使用した京都会館別館、山一証券ホール、シルクホール、京都教育文化センター